テディベアセラピー①


いつもどおり目覚ましが朝5時半に鳴り出した。あかりはまだ昨日の疲れが完全に癒えていないのを感じながら、むっくりとベッドから起き上がる。仕事前にカウンセリングを希望するクライアントを迎えるため、6時半にはオフィスへ向かうからだ。シャワーと軽い朝食を終え、身支度を整える。日本に住んでいた頃は夜ゆっくり風呂に入るのが好きで、「朝のシャワーなんて」と思っていたが、20年もカリフォルニアに住んでいると、毎日湯船につかる習慣はいつしかなくなった。


服装は着心地の良いオフホワイトのブラウスと細かい千鳥格子のパンツ、気温の低い日もある晩秋でも、オフィスの中はこの位でちょうどよい。肌寒く感じる時は、そこにお気に入りのJ. クルーのジャケットを羽織る。髪は肩程のストレートだが、仕事の時は形よくまとめて、出来るだけプロフェッショナルに見えるよう心掛けている。玄関脇にかけてある鏡で最後のチェックをして車に乗り込む。


「ほな、気ぃつけて行っといで~」と、夫のブライアンの変な大阪弁に見送られて、あかりは北サンディエゴの家を出た。フレックスタイムを導入しているブライアンの会社とは違い、自分のカウンセリングルームを営むあかりは、これが仕事日の朝のルーティーンである。

11月とはいえカリフォルニアの空はどこまでも明るく澄んでいる。あかりが車を走らせているインターステート15号線は、南はメキシコ国境から北はカナダ国境までつながる、全長2300キロのフリーウェイだ。良く知られている5号線が海岸線を走るのに対し、15号線はサンディエゴの内陸を走っている。大げさなようだが、この事務所までの10分間の早朝ドライブについて、あかりは自分の心を鎮め浄める祭事のように感じている。


あかりの事務所はサンディエゴ市北部のランチョ・バーナードという地区にある。このあたりは中流層が住む家が立ち並び、また日本の大手企業のサンディエゴ支社やアメリカのハイテック企業などもオフィスを構えている。その地区から西側には、世界的なゴルフプレーヤーのフィル ミケルソンの家やビル ゲーツの別荘などがあるランチョ・サンタフェという豪邸地区が広がる。


あかりの事務所は大きなオフィスビルの中にある。そのビルの東側全体がガラス張りになっていて、そこに当たる朝日は目を開けていられないほどまぶしい。あかりが事務所のフロアーに着くと、すでに働き者のオフィスマネジャー、フランセスがいて、にこやかに迎えてくれる。

「おはようございます、ドクターフラワーズ。今日は新しいクライアントさんが最初の方ですね。あら、5歳の男のお子さんだわ」


「そうなの、フランセス。子供のカウンセリングは普段あまり多くないので、ちょっと楽しみなの。あぁ、お父さんが仕事前に男の子を連れて来るのね。さてこの子は天使かな、それともモンスターかしら」

こんな冗談をフランセスに返しながら、あかりは男の子のスピーチセラピストから送られてきた紹介状に目を通した。

初めて父親にカウンセリングルームに連れて来られた時、5歳のディブ・マルケスは警戒心に満ちた表情で、チラッとあかりのほうを見たあと下を向いて鼻歌を歌っていた。その顔は怒っているような悲しそうな「なんでこんなところに連れてくるんだ!」と、訴えているように見える。


ディブの両親は共に22歳になったばかり、一緒に来た父親はまだ少年のようだ。ディブを頭に4人の年子の子供がいるが、一番下の女の子はつい2か月ほど前に生まれたばかりだという。子供のカウンセリングは親の協力が不可欠だ。あかりはこれまでの経緯を聞こうとするが、父親は驚くほど非協力的である。


「ディブに聞いてくれよ、ドック。俺忙しいから一時間したら迎えにくるからさ」

そう言いながら、父親は逃げるようにオフィスから出ていった。その態度はまるでディブの抱えている問題は、俺には関係ないとでも言うようだ。


もともと言葉の発達が遅かったディブの吃音に周りが気づいたのは、ちょうど4歳の誕生日を迎えたころだった。当時から指導しているスピーチセラピストの紹介状により、大分様子が分かってきた。両親は同級生で、二人が高校を卒業する時には、母親はすでにディブを身ごもっていた。そしてディブが1歳になる前にすぐ下の弟が生まれ、その時からディブは家庭内で「ビッグ・ブラザー」の立ち位置を強いられるようになる。


父親はせっかちでイライラしやすい性格であるが、それでもディブは父親が大好きだ。もともと天真爛漫で人懐っこいディブは、小言を言われながらも舌足らずに一生懸命に話しかける。しかしそのたびに「何グズグズ言ってるんだ、早くしゃべれよ!」と、怒鳴られる。


また母親も4人の子供の世話と経済的ストレスから、ディブに邪険に当たることが多い。このような環境でディブは次第に吃音を発症していった。そんなディブが幼稚園で友達を叩くようになったのは、母親が一番下の妹を産んだ直後のことである。


父親が出ていった後、あかりはやれやれと思いながら、部屋に残された所在なさそうな様子のディブに目を向ける。どうしたものか... 個人的には子供が大好きだが、カウンセリングとなると別問題だ。


そうだ、指導教官だったグリーンバーグ先生はいつもこう言っていた。


「あかり、子供のカウンセリングは難しく感じるけど、以外に上手く行くことも多いのよ。カウンセリングに来る子は親に問題がある場合や、不安定な状況の中で暮らしていることがほとんどよね。


私たちの役割は定期的に一緒に遊んだり、話をじっくり聞いてあげたりすることを通して、この子たちに一番必要な安定を供給することなのよ。たとえ週に1度、50分間だけでもカウンセラーと安定した時間をもつことで、子供の心も少しずつ落ち着いてくるのよ」




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