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​小さなミラクル通信

守秘義務尊重のため内容は著者の経験に基づいた創作です

  • 執筆者の写真王丸典子

あっぱれ!うちのおばあちゃんはPPKでした

更新日:2021年3月7日


皆さまは #PPK#NNK の違いご存知でしたか。PPKは亡くなるまで元気で #ピンピンころり と人生を終える、それに反してNNK #ネンネンころり は不本意ながら体の自由が利かなくなり、最後を寝たきりで迎えると言うことだそうです。#高齢化社会 で老人の健康が話題になることが多い昨今ですから、もちろん知ってるよと言う方も多いでしょうね。


だんだん齢を重ねてくると、なんと言っても最後の望みはPPKです。お金があっても地位があっても、PPKは手に入るものじゃありません。ところが周りを見回してみたら、うちにもPPKの見本のような人がいました。それは今から40年くらい前に亡くなった母方の祖母ふじえおばあちゃんです。


おばあちゃんは、明治の終わりに福井の農家に長女として生まれました。成績優秀で、女学校の先生から医者になれと言われたらしいです。しかし裕福ではない実家とたくさんの兄弟姉妹のことを思い大学進学は断念しました。


生前その顛末を二十歳くらいの私に話した時「医者になってたらどうなってかね」と言って、ちょっと寂しそうなまなざしで遠くを見ていました。医者にはなれませんでしたが、女学校卒業後は看護師として働きました。おばあちゃんはいつも穏やかで、安心感を与えてくれるような人柄でした。きっと良い医者になっただろうにと、私も残念に思います。

そんなおばあちゃんも70歳になりました。子供はみんな独立しておじいちゃんを2年前に亡くしたものの、やっと落ち着いた生活を楽しめるようになった頃です。ある日ご近所の仲良しと巣鴨の #とげぬき地蔵さん にお参りに行くことになりました。お参りのあと「おばあちゃんの原宿」地蔵通り商店街を散策し、美味しいうな重の昼食で一日を堪能しました。


家に帰りついたのは4時頃です。長男のお嫁さんにその日のことを話していたその時、おばあちゃんは突然顔をしかめて苦しみ出しました。苦しむこと20分、なんと驚いたことに救急車が来る前に亡くなりました。


死因は心不全、70歳でした。それまで寝込むことさえなかったおばあちゃんです。私は信じられない気持ちでいっぱいでした。家族は大好きなおばあちゃんの突然の死を、当時すぐには受け入れられませんでした。


でも自分がおばあちゃんの齢にだんだん近づいてくると、このような死に方が出来たらどんなに素晴らしいだろうと思うのです。仲良しとお地蔵さんのお参りをしてウナギを食べて、その日のうちに天国へ。私の理想です。


しかしながらおばあちゃんのように穏やかな人柄というのも、この天国行きの切符を手に入れるのに重要かもしれません。まだまだ精進の足りない私は、切符いただけるかどうかちょっと不安です。


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