片づけられない女②

最終更新: 2020年12月24日


週に一回のカウンセリング開始からひと月半ほどたったころ、またゆり子の睡眠障害の話がでた。夜寝られないので主治医から睡眠剤を処方されているが、出来るだけ依存しないようにしているとこれまでも何度か話していた。


「寝られない原因は仕事のストレス以外に何かありますか。例えば夜カフェインを取るとか。お酒をたくさん飲みすぎるとか」


もう一度こう聞くあかりに、


「私、片づけられない女なんです」


と、意表を突く答えがゆり子の口から飛び出した。


「掃除する元気もないから、家の中がグチャグチャだし。テーブルの上には郵便がうず高くたまっていて...そこでご飯を食べることさえできません。中には重要な書類もあるはずだけど、どうしても手が付けられない。それが気になって気になって、寝られないんだと思います。税金の支払いとか車の車検などの重要な書類を無視したら、もう終わりなのに。今となっては怖くて見ることさえできません」


と、ふり絞るような声でゆり子は言葉を吐き出した。まるでとんでもない失態を、やっとの思いで告白しているかのように見える。


幼くして母を亡くし、子供の頃から厳しい祖母に育てられたゆり子にとって「きちんと生活する」というのが、強く刷り込まれた根本的な信条だった。ところが体の疲労や外国生活のストレスがたまり、仕事以外のことができなくなると、きちんとした生活は次第に成り立たなくなる。すると強い自己否定を繰り返すようになって、ゆり子の心はますます弱ってしまったようだ。


「もしテーブルの上のものが無くなって、そこでご飯が食べられるようになったら、どう思いますか」

と聞くあかりに、


「多分少しホッとすると思うけど、とても今の状態を片づけるなんて無理だと思います」

こういうゆり子の目には、絶望とも怒りともとれる光が浮かんでいた。


ここまで聞いたあかりは、やっと「答え」にたどり着いたのかなと思いながら、次のような提案をしてみた。

次回のカウンセリングにテーブルの上にある書類を段ボールに入れて持ってくるように。段ボールはいくつになるかわからないけれど、多分多くても2-3箱だろう。それを一つずつカウンセリングの時間を使って一緒に見ていく。そして処理の必要なものは手元に残し、廃棄するものはあかりの部屋のごみ箱に捨てる。シュレッダー処理する必要がある物は、これもあかりの部屋のシュレッダーで行う。


処理の必要な郵便物を見る勇気があるかどうか心配だというゆり子に、考えられる最悪な事態は支払期限が過ぎていることだが、大概多少の滞納金を払えば大丈夫と励まし、次の面談を待つことにした。


翌週の面談時、ゆり子は2つの段ボールをあかりの部屋に持ち込んだ。まだもう一つ車のトランクに入っているが、今日のところはこれでよいだろうとの考えだった。そしてあかりが提案した通り、郵便物をドンドン仕分けしていく。やはりそのほとんどは直接ゴミ箱行きのセールスメールだった。あっという間に2箱が終わり、最後のひと箱も50分の面談時間内にすべて処理が済んだ。


手紙の山の中には支払いの書類が7通ほど埋もれていたが、滞納金を支払う必要があるのは4通だけだった。この事実を知るとゆり子の顔には深い安堵の表情が広がり、その日の面談を終えた。

翌週の面談時、ゆり子はあかりも予想しなかった変化を報告してくれた。先週手紙の仕分けが終わり、テーブルの上に何もなくなったことで、自分がこんなに安心するとは夢にも思わなかった。するとよく眠れるようになったばかりか、久しぶりに掃除機をかける気になった。


溜まっていた洗濯も終わると、頭の上にのしかかっていた重しが久しぶりに消えたように思えたという。一番良かったのが、同じ問題が起きないように、簡単な郵便処理システムを自分で決められたことだそうだ。


ゆり子のことを思い出しながらトマトスパゲッティを食べていたあかりは、アンドレアの言葉で現実に引き戻された。


「ベッドや風呂が物だらけで、健全な日常生活が送れないクライアントには、ホーディング障害専門のソーシャルワーカーに自宅訪問をしてもらった方がいいわよね。ほっておくと症状はどんどん深刻化する可能性があるし。幸いなことにこの人たちはお金があるから、定期的なソーシャルワーカーの訪問も問題ないわ」

アンドレアは主に富裕層を対象にカウンセリングをしているので、保険を使ってカウンセリングを受けるあかりのクライアントたちとは状況が異なる。


「私のケースももう少し時間が経っていたら、家庭訪問が必要なケースだったかもしれないわ。でもそうすると、保険の許可が下りるかどうか... それにしてもテーブルの上の郵便を片づけたことで、クライアントの心が元気になる勢いをつけられたのは本当に良かったわ」


食事を終わってオフィスに戻るあかりに、アンドレはちょっと同情の交じりの声でいった。


「あかり、このあとまたオフィスに戻るのね。だから保険の契約サイコロジストとして働くのはもう止めて、私のように現金払いの富裕層を相手にすればいいのに。そしたらひと月に100面談もしなくて良いし、体も楽でもっと遊ぶ時間もとれるわよ」


あかりは満面の笑みを浮かべ、アンドレアの肩を抱き寄ながら、

 

「ありがとうアンドレア、心配してくれて。そのこと今度またゆっくり話そうね」と返す。


確かにアンドレアのように現金払いの富裕層を相手にするのは魅力的だ。今のように大人数のケースを抱えることもなくなるだろう。保険契約のサイコロジストは、保険会社によって決められた金額以上を受け取れることはできず、割が悪いようにも思える。


「でも!」と、あかりは思う。自分が保険契約を止めると、保険を使って日本語でカウンセリングを受けたい人たちはどうなるんだろう。行き場を失って心の健康を害する人は増えるに違いない。


やはり自分の使命はそういう人たちに、安価でカウンセリングを受けてもらう環境づくりの一端を担うことではないか。こんなことを思いながら、オフィスビルの駐車場に車を滑り込ませる。そして「よし!」と小声で言いながら、あかりはフランセスの待つオフィスに入っていった。



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