所変われば仁義も変わる アメリカ人と働く
更新日:2021年2月28日
二十代のある日、突然私は秘書部勤務を命ぜられました。それ以前は空港カウンターの仕事で、同期の友人達と毎日ワイワイやってました。それが一変して役員のおじ様のお世話です。
秘書部に入ってみると、とにかく優秀な秘書達がカッコ良く仕事していました。それを見て最初の一か月は午後になると頭痛がして、とても平常心で仕事をするどころではありませんでした。
日本文化の象徴 代行トレーニング
秘書部ではいろいろなトレーニングを受けましたが、その中に「代行トレーニング」というのがありました。それはある秘書が休暇や病気で休む場合、その人の担当役員のお世話をつつがなく代行出来るように、担当部署や友人関係、食事や飲み物の嗜好等をあらかじめ勉強しておくのです。
これは皆で協力して何かを作り上げるのを良しとする、日本文化特有のものですね。今でも素晴らしいことだと思いますし、特に当時はこれが当たり前で何の疑問も感じませんでした。
アメリカ人にはアメリカ人の仁義あり
そこから何年かしてアメリカに渡り、アメリカ人に囲まれて働くことになりました。そこは、記事「私のあしながおじさん」に出てきた大手日系企業でしたが、従業員のほとんどはアメリカ人でした。
その会社の社風は自由で明るく働いていて心地よい場所でしたし、上司や同僚にもとても恵まれたと思います。しかしあることを通して、日本とアメリカの文化の違いをひしひしと感じたことがありました。
アメリカ人社員シンディさんは日本人社長の秘書で、とてもフレンドリーな人でした。そして新参者の私の面倒も親切に良くみてくれました。
ある時シンディーさんがひどい流感にかかり一週間ほど病欠しました。その間私は社長室の近くに座っていたこともあり、自然に日本人社長のサポートをすることになりました。何しろ日本の秘書部で代行を叩きこまれていますから、見て見ぬふりは出来ません。
これがシンディーさんを烈火のごとく怒らせることになろうとは、夢にも思いませんでした。やっと回復して出社したシンディーさんは、いない間に私が彼女の仕事をしていたことがとても不快だったようです。
そして「あんたは私のポジションを狙っているのかい‼」と叫んでいます。そんなこと微塵も思っていなかった私は、ただオロオロと「病気のあなたをサポートしたかっただけよ」と弱弱しく返しましたが、多分全く伝わっていなかったでしょうね。なぜならこれは日本とアメリカの文化の違いが根本にあるからです。
今になってよく考えると、これはシンディーさんが良いとか私が悪いとかいうこととは違うと思います。しいて言うなら私が個人主義のアメリカ文化をよく理解していなかったということに尽きると思います。
シンディ事件は私に二国間の文化の違いを、感情的に受け入れていく良い教訓でした。しかしそれ以後も、うっかり同じようなことをしてしまったことが何度かありました。やはり母国の文化の中で身に着いた行動は、根深いものがありますね。
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